2021年


ーーーー11/2−−−− 接客の難しさ


 
展示会でいつも悩ましいのは、来客への対応である。展示作品を見ているお客さんに、声を掛けるべきか、それとも黙って見守った方が良いか。

 商売だから声を掛けた方が良いに決まっていると考える人は、昔の八百屋や魚屋のようなイメージを持っているのかも知れない。「へい、いらっしゃい!」と言う威勢の良い掛け声が、客に買う気を起こさせるというわけだ。しかし、工芸品の類の展示会となると、そう簡単ではない。

 以前銀座のデパートのギャラリーで展示会をしたことがある。売り子の女性が一人付いていたので、そのような事について聞いてみた。すると、プロの売り子でも、客への対応は難しいとのことだった。

 展示品に関心を示さずに通り過ぎる人、その場に間違って入ってきたような人に声を掛ける必要は無い。問題は、作品の前に立ち止まって何かを考えている様子の人をどう扱うかである。迂闊に声を掛ければ、売りつけられるとか、のっぴきならない事になるとかの不安を感じて、立ち去ってしまう恐れがある。かと言って会話を持たなければ商売は成立しない。引っ込み思案な客には、売り子の方から声を掛けることが必要だ。では、どうすれば良いのか。

 品物を見て迷っている客の、背中を押してあげるような物言いをするのが良いと彼女は言った。品物の前に立っている客にゆっくりと横から近づいて、自然な感じで視野に入るようにし、穏やかな口調で「素敵な作品ですよね」と言葉を掛けるのが、まずは無難なやり方だと。なるほど、それなら相手に不安感を与えることも無いだろう。それに対して「いかがですか?」と持ちかけるのは良くないらしい。相手の判断を問うような声掛けは、警戒感を持たせてしまうことがあると。

 もっともこの声掛けのお手本は、他人が制作した物を売る場合だから使えるもの。自分が作った物に「素敵な作品ですね」は無いだろう。自作の品物を売るのは、やはり難しいのである。

 先週行った展示会は、陶芸、織物、竹細工の作家たちとの合同展だったが、それぞれの作家は展示品を見て回るお客さんに声を掛けることはしなかった。それで良いのかどうかは分からないが、経験豊富な彼らが黙って見守るようにしていたのは、一つの達観した境地だったのかも知れない。もちろん説明を求められれば、丁寧に対応をしていたが。




ーーー11/9−−−  タイマーの機能


 
以前、友人宅へ出掛けて、持参した蕎麦を茹でて食べたことがあった。鍋、ザルなどの茹で道具に加えて、タイマーを持って行ったのだが、友人は「タイマーならうちにもあるのに」と言って笑った。

 先日また友人宅で同じような事をやったのだが、今回はタイマーを省略した。いざ茹でる段になって、タイマーを借りたいと申し出たら、友人は壁に張り付いた小さなタイマーを指差した。それはちょっと不便な代物だった。分や秒をセットするのに、その値になるまで繰り返しボタンを押さなければならないのである。50秒をセットするには、秒のボタンを50回押さなければならない。

 我が家で使っているタイマーは、これしか無いと言ってよいくらいに普及しているモデルである。それは、ボタンを長押しすれば素早く値が進むようになっている。50秒をセットするには、秒のボタンを長押しして40秒台まで持って行き、いったん指を離した後、一回ずつ押して50秒に合わせれば良い。この長押し機能により、セットが短時間に行える。些細な事ではあるが、行き届いた仕組みで、便利である。

 それを友人に言ったら、「100均で買った安物だから仕方ないよ」と笑った。

 それから暫くしたある日、カミさんが台所でピッピという音を続けて鳴らしていた。タイマーをセットしている様子だった。その音を聞いて、上に述べた出来事を思い出した。「友人宅のタイマーは長押し機能が無くて不便だったよ」と言ったら、カミさんは怪訝そうな顔をして、「えっ、それ何のこと?」と言った。私が、「長押しをすれば値が早く進む機能のことさ」と言ったら、カミさんは「そんなこと、ちっとも知らなかったわ」と言って苦笑した。




ーーー11/16−−−  三分間を言い当てる男


 三本ローラー台を使った自転車トレーニングを始めて一年が経った。トレーニング効果が上がっているかどうかは、よく分からない。同じ坂道を楽に上れれば、効果ありとみなせるはずだが、公道を走ることはほとんど無い。自転車の一部の部品が不調なので、公道を走る気が起きないからである。大腿部の筋肉は、大きくなってきたように思う。しかし、ローラーの上でこぐと毎回辛いので、筋力がアップしたと言う感覚はあまり無い。

 トレーニングは、一日に2回朝食と昼食の後に15分ずつ行う。5分経過するごとに、ギヤを一段重くする。終わる頃には、冬でも汗びっしょりになる。運動量としては、十分だと思う。このトレーニングをやりだしてから、裏山登りに行かなくなった。つまり、他に日常的な運動をしていない。にもかかわらず、昨年ダイエットをして10キロ落とした体重が、いまだに維持できているのは、このトレーニングのおかげだと思われる。

 時間はタイマーをセットして計る。時折タイマーに目をやって、どれくらい時間が経過したかを見るのだが、その日の体調や周囲の状況などによって、時間の進み方に差がある。思ったより時間が進んでおらず、がっかりすることが多い。残り時間5分と予想してタイマーを見たら、まだ7分だったという感じ。疲れてくると、なおのこと時間が遅くなる。がっかりしたくないから、タイマーを見ることを我慢するという心理が働いたりもする。

 冬山の就寝時を思い出す。寒くて眠りが浅く、夜中に何度も目が覚める。起床時間が待ち遠しい。ライトを点けて時計を見るのだが、時間の進み方が遅い。ガッカリするのが辛いので、目が覚めてもなるべく時計を見ないようにする。寒さに苛まれながら、じっと時間が経つのを待つ。そして、もうそろそろ2時くらいになっているだろうと期待して時計を見ると、まだ11時だったりする。

 時間の経過を正しく把握するのは難しい。たかが数分間であっても、正確に言い当てることはできないように思う。

 ずいぶん前のことであるが、ある実験をテレビで見た事がある。ボクサーは3分間という時間の長さを体で覚えており、それを確かめるという実験であった。登場したのは世界チャンピオンになったこともある著名なボクサー。目隠しを着けてシャドーボクシングを始めた。画面の隅には、時計が表示されていて、刻々と残り時間が減っていく。残り十数秒になって、見る方は緊張が高まったが、ボクサーは平然とパンチを繰り出している。そして、彼が突然動作を止めて直立し「終わりです」と言った瞬間に、時計の数値はゼロになった。全くの勘なのか、それとも頭の中で秒数を数えていたのか、分からない。いずれにせよ、その正確さには驚かされた。

 ところで、実際の試合中に、バテバテに疲れたり、パンチをくらってふらふらになっても、彼の体内時計は正確に時を刻み続けるのだろうか?




ーーー11/23−−−  電動ガンの主婦たち


 
自宅周辺に、頻繁に猿が出没する。先日も20匹ほどの集団が、近くの畑に現れた。群れの中には、背中に小さい赤ちゃんを乗せた母猿もいた。しかし、微笑ましい光景などとは言ってられない。猿は畑の野菜や果樹を食い物にする、憎っくき奴らである。

 猿の出現を防ぐ有効な手段として、これと言ったものは、残念ながら無い。見付けたら怒鳴りつける、追いかける、石や棒を投げる、などの威嚇が、せめてもの対策である。そんな事と思われるかも知れないが、やらないよりは良い、というかやらなければいけない事らしい。人里に近づけば嫌な事をされるという、不快感、居心地の悪さを感じさせる事が、猿を遠ざけるための第一歩らしい。

 猿は賢いから、こちらが何もしない、何もできないと見なせば、悠然としている。こちらが女性だと、見くびって逃げなかったりする。私のような大柄な男が追えば、いちおう退散のそぶりを見せる。しかしボスとおぼしき猿は、最前線に留まってこちらの様子を伺う。先日も、他の猿どもが林の奥に逃げ去っても、大きな猿が林の縁にしゃがんでこちらを見ていた。あまり近づいて反撃されたら嫌だから、石を投げつけてやろうと思った。地面に転がっていた石を拾い、猿を目がけて思い切り投げた。しかし、石は猿の方へは飛ばずに、すぐそばの地面にぶち当たった。なんとコントロールの悪いことか。加齢とともに、運動能力が衰えたようである。それでも猿は危険を感じたようで、林の奥に去って行った。

 テレビで、どこかの地域の猿対策を紹介していた。山村の農耕地だが、猿が日常的に現れて、作物を荒らしている。主婦やお婆さんらが追い払おうとしても、猿は動じない。棒を持って近付いても、逃げようとしない。反対に威嚇してきたりする。女性だからと甘く見ているのだ。

 そこで脚光を浴びるようになったのが、電動ガン。それはエアガンの一種で、空気圧を高める機構を電動にしたもの。バッテリーで作動するが、外観は普通のエアガンと変わらない。つまり拳銃でも機関銃でも、実銃そっくりに出来ている。引き金を引くだけで玉が出、しかも連射が可能というのが特徴とのこと。BB弾を使うので、猿に怪我をさせるほどの威力は無いが、不快感を与える効果はあるとのこと。確かに至近距離から、顔に向けて連射されたら、さすがに横柄な猿もびびるだろう。

 その地域では、役場が電動ガンの使用を奨励し、使い方の講習会なども行っている。操作に腕力を要さず、連射ができるので、女性が使うのに適していると言うのがキャッチフレーズ。取材では、実際に農家の主婦たちが電動ガンを発射しているシーンが紹介された。お互いの所有している拳銃や機関銃を見せ合って、使い心地を述べ合っているシーンや、銃を手にして巡回パトロールをしているシーンも見られた。

 猿を撃退する有効な道具が手に入って、女性たちは意気揚々とした様子だった。それにしても、こう言っては何だが、思わず笑ってしまう光景ではあった。拳銃や機関銃など、農家のおばさんたちが手にする物としては、最も場違いで相応しくない物であろう。それを手にして談笑したり、携えて農地を歩き回るという光景は、ご当人たちは真剣だろうが、どう見ても滑稽なものであった。




ーーー11/30−−−  レコード再生


 ステレオアンプを新調した。これまで使ってきたものは、40年ほど前、独身時代に購入したものだが、何年も前から調子が悪かった。騙しだまし使ってきたのだが、各種スイッチが効かなくなり、ついに末期的な状態になった。このアンプが使えないと、レコードが聴けない。レコードを聴く機会はそれほど無いが、たまに聴くなら、CDよりもレコードの方が面白い。長い年月のインターバルがあるので、新鮮に聞えるからである。

 レコードプレーヤーも、同じ時期に購入したと記憶している。こちらの方は、一部に不具合があるが、ほぼ問題はない、と思う。不具合とは、オートリターン機能が、しばしば働かないのである。それに気が付かないと、人知れず何時間もレコードが回りっ放しとなる。これは気を付けるしかない。再生機能の方は、僅かだがノイズが混じる。これがプレーヤーのせいなのか、それともスピーカーのせいなのかは、分からない。スピーカーもご同類の古株である。原因はいずれ究明されるであろう。

 音の問題はさておき、プレーヤーがいまだにちゃんと使えるのは、大したものだと思う。当時ちょっと値段が張ったが、ダイレクトドライブ方式のものを選んだのが正解だったようだ。ダイレクトドライブというのは、モーターの軸にターンテーブルが直結している構造である。アイドラ方式とか、ベルトドライブ方式に比べると、消耗部品が無いので、長い年月に渡って安定した動作が保たれる。そういうことが長寿のポイントとして挙げられるが、それにしても購入した40年前とほぼ同じように使えるというのは、その当時の製品は作りが良かったということもあるだろう。現在の家電製品と比べると、設計思想に差があるように思われる。

 プレーヤーが健在でも、レコード針が手に入らなければ、レコード鑑賞はおぼつかなくなる。針は、せいぜい数百時間の寿命しかないとされている。プレーヤーとは別に、レコード針は消耗品なのである。それが、現在でも手に入るというのが、また驚きである。今回も、流れに合わせて針を購入した。レコード針を専門に作っているメーカーが国内にある。既に過去の物となったプレーヤーに対応した、2000種類を越える針を、いまだに生産し続けている。その品質は高く、国際的な評価を得ているらしい。時代遅れと言われても仕方ない分野で、孤高とも言えるこのメーカーの存在は、ユーザーにとってかけがえのないものである。 

 再生システムが復活したので、棚に保管されているおよそ140枚のレコードを一枚ずつめくって、これはというものを聴いてみる。中には私が子供の頃、父が買ったレコードがあった。フルトヴェングラー指揮のベートーヴェンの交響曲5番と6盤の二枚。33と1/3回転のLong Playとわざわざ書いてあるので、SP盤からLP盤へ移行する時期のものだったと思われる。私が初めてレコードを聴いた6歳前後の頃は、まだSP盤が残っていたのである。

 レコードに針を落として聴いてみた。静謐な曲想の表現が美しかった。これがフルトベングラーだったんだと思った。

 それにしても、どのジャンルのどのアルバムにせよ、レコード(アナログ)とCD(デジタル)の音質には差があるように感じ、アナログに軍配を挙げたくなるのは、何故だろうか?